8歳で父を戦争で亡くした母―離れて暮らした家族が、もう一度一緒になるまで

2026/08/29

先日、90歳になった母に会いに行きました。

帰ってきてから、時折母のことを思い出し、

母は、どんな90年を生きてきたのだろう。

そんなことを考えるようになりました。

考えてみると、私が生まれる前の母の人生については、知っているようで知らないことがたくさんあります。

今日は、私が母から聞いてきた話を思い出しながら、母の子どもの頃のことをお話しします。

父を戦争で亡くした8歳の母

母は、新潟で生まれました。

母が大切にしていた、一枚の家族写真があります。

そこには、まだ父親も母親も一緒だった頃の、幼い母が写っています。

 

 

母が大切にしていた家族写真。 後列右から3番目が母の父親。 一番左の女性が母親のよしのさん。 その前にいる女の子が、幼い頃の母・照子です。

 

 

この写真のあと、母が8歳の頃に父親を戦争で亡くし、家族の暮らしは大きく変わります。

 

父親を亡くしたあと、母親のよしのさんは、山形の実家へ返されてしまいます。

母たち兄妹3人は、新潟に残されました。

 

今になって思うと、母はもちろん、私の祖母であるよしのさんは、どんな思いで3人の子どもと離れたのだろうと思います。

 

どんな別れだったのだろう。

そう考えると、切なくなります。

 

母親と離れ、厳しい祖母のもとで

母たち兄妹3人は、祖母に育てられることになりました。

 

その祖母は、とても厳しい人だったと聞いています。

母は子どもの頃から、姪っ子を背負いながら畑仕事を手伝っていたそうです。

 

今のように便利な時代でもありません。

まして、父親を亡くし、母親とも離れて暮らしていた母。

どんな気持ちで毎日を過ごしていたのだろう。

 

母親と隠れて駅で会ったことが祖母に見つかり、厳しく怒られたという話も聞いたことがありました。

 

私は子どもの頃にも、母から昔の話を聞いていました。

でも、その頃の私は、

「お母さんは、そういう子ども時代だったんだ」

くらいにしか思っていなかったような気がします。

 

自分も母親になり、そして今、90歳になった母を見ていると、同じ話なのに受け止め方が変わります。

 

8歳で父親を亡くし、その後、母親とも離れて暮らした。

今になってそのことを考えると、ずいぶん幼い頃から、自分で頑張らなければならないことが多かったのではないかと思います。

 

離れ離れだった家族が、もう一度一緒に

 

それから年月がたち、母は大人になりました。

 

そして東京で、離れて暮らしていた母親と再び一緒に暮らせるようになりました。

兄妹3人も一緒です。

 

幼い頃に離れ離れになった母親と、兄妹3人。

大人になって、もう一度、一緒に暮らすことができたのです。

 

母にとって、それはどんな時間だったのでしょう。

今となっては、もっといろいろ聞いておけばよかったと思います。

 

どんな家で暮らしていたの?

久しぶりにお母さんと暮らして、どんな気持ちだった?

兄妹3人で、どんな話をしていたの?

 

聞いてみたいことが、今になってたくさん出てきます。

けれど、認知症が進んだ今の母に、昔のことを詳しく聞くのは難しくなりました。

 

強くて、負けず嫌いで、我慢強い母

私が母を一言で表すとしたら、

強くて、負けず嫌いで、我慢強い人。

です。

 

私はずっと、

「お母さんは、そういう人」

と思ってきました。

 

でも今、母の人生を振り返ってみると、その強さは、もともとの性格だけではなかったのかもしれません。

 

父親を亡くしたこと。

母親と離れて暮らしたこと。

厳しい祖母のもとで育ったこと。

子どもの頃から畑仕事をしてきたこと。

 

そんな一つひとつを経験しながら、母は強くなっていったのかもしれません。

 

先日、90歳になった母を前にして、

「90才 がんばったね」

とホワイトボードに書きました。

 

あのときは、ただ90歳まで生きてきた母に「がんばったね」と伝えたくて書いた言葉でした。

 

でも、母の90年を少しずつ振り返っていると、

あの「がんばったね」という言葉が、前よりもずっと重く感じられます。

 

そして、母が大切にしていたあの家族写真。

今まで何度も見たことのある写真なのに、母の90年を思いながら見ると、今までとは少し違って見えます。

 

写真の中には、父親がいて、母親のよしのさんがいて、その前に幼い母がいます。

 

この頃の母は、その後、自分の人生がどうなっていくのか知るはずもありません。

 

私は母の人生を、知っているつもりでいました。

 

でも、

まだ知らない母が、たくさんいるのだと思います。