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73歳の高校生だった母の話

2026/04/29

 

新聞に載った、73歳の高校生だった母

 


私の母は、73歳で定時制高校に入りました。

 

母は昭和11年生まれ。

小さい頃に父親が戦死し、母親は里に返され、祖母に育てられました。

姪や甥の面倒を見ながら育ち、

学校は中学校までしか行けませんでした。

 

結婚してからは4人の子育て。

母が40代のときに父が亡くなり、

それからは一人でクリーニング屋を切り盛りしてきました。

 

72歳の誕生日。

シルバー人材センターで働いていた母に聞きました。

「これからやりたいことはある?」

 

母は少し考えて、こう言いました。

 

「高校に行ってみたい」

 

初めて聞いた母の想いでした。

 

弟は「来世でいいんじゃない?」と言いました。

 

それでも私は「行かせてあげたい」と思い、教育委員会に相談に行きました。

「申請はできますが、若い人が優先になります」

そう言われました。

 

受験は、これまでの人生を題材にした作文。

母はその作文を書き、定時制高校に合格しました。

 

初めてのテニスの授業では、

孫のラケットを借りてコートを走りました。

 

修学旅行は沖縄。

初めての羽田空港

クラスメイトの若い子たちが前日に母の家に泊まり、連れて行ってくれました。

シュノーケルを体験して、喜んでいました。

 

部活は写真部に入り、

孫の写真で神奈川新聞社賞をもらいました。

 

三者面談には、保護者として私が参加しました。

担任の先生は国語の先生で、母の受験の作文を採点した方でした。

「とても感動した作文でした」

そう言われました。

 

授業中、騒がしい生徒を母がじっと見ると、

先生が注意するよりも静かになると聞きました。

 

クラスメイトは「照子さん」と母を呼び、

先生は「このクラスに照子さんがいてくれて助かっています」と話してくれました。

泣きながら笑った三者面談でした。

 

手を伸ばしただけで肋骨を骨折したときも、

休まず学校に行きました。

 

熱が出た日も、

隠して登校していました。

 

皆勤賞をもらい、

照れながらも誇らしそうでした。

 

母のことを取り上げてくれた新聞記事は、

今も施設に飾ってあります。

 

母はその後、

脳梗塞になり、

認知症になり、

施設で暮らすようになりました。

 

そう考えてみると、

やりたいと思ったときが、

その人にとっての始めどきなのだと思います。

 

年齢やタイミングではなく、

気持ちが動いたときが一番早い。

 

「今さら」と思ってしまうと、

そのまま始められなくなります。

 

でも、始めることに

 

遅いということはありません。

 

いつからでも始められますね。