
私の母は、73歳で定時制高校に入りました。
母は昭和11年生まれ。
小さい頃に父親が戦死し、母親は里に返され、祖母に育てられました。
姪や甥の面倒を見ながら育ち、
学校は中学校までしか行けませんでした。
結婚してからは4人の子育て。
母が40代のときに父が亡くなり、
それからは一人でクリーニング屋を切り盛りしてきました。
72歳の誕生日。
シルバー人材センターで働いていた母に聞きました。
「これからやりたいことはある?」
母は少し考えて、こう言いました。
「高校に行ってみたい」
初めて聞いた母の想いでした。
弟は「来世でいいんじゃない?」と言いました。
それでも私は「行かせてあげたい」と思い、教育委員会に相談に行きました。
「申請はできますが、若い人が優先になります」
そう言われました。
受験は、これまでの人生を題材にした作文。
母はその作文を書き、定時制高校に合格しました。
初めてのテニスの授業では、
孫のラケットを借りてコートを走りました。
修学旅行は沖縄。
初めての羽田空港。
クラスメイトの若い子たちが前日に母の家に泊まり、連れて行ってくれました。
シュノーケルを体験して、喜んでいました。
部活は写真部に入り、
孫の写真で神奈川新聞社賞をもらいました。
三者面談には、保護者として私が参加しました。
担任の先生は国語の先生で、母の受験の作文を採点した方でした。
「とても感動した作文でした」
そう言われました。
授業中、騒がしい生徒を母がじっと見ると、
先生が注意するよりも静かになると聞きました。
クラスメイトは「照子さん」と母を呼び、
先生は「このクラスに照子さんがいてくれて助かっています」と話してくれました。
泣きながら笑った三者面談でした。
手を伸ばしただけで肋骨を骨折したときも、
休まず学校に行きました。
熱が出た日も、
隠して登校していました。
皆勤賞をもらい、
照れながらも誇らしそうでした。
母のことを取り上げてくれた新聞記事は、
今も施設に飾ってあります。
母はその後、
脳梗塞になり、
認知症になり、
施設で暮らすようになりました。
そう考えてみると、
やりたいと思ったときが、
その人にとっての始めどきなのだと思います。
年齢やタイミングではなく、
気持ちが動いたときが一番早い。
「今さら」と思ってしまうと、
そのまま始められなくなります。
でも、始めることに
遅いということはありません。
いつからでも始められますね。